HUMAN DOLL
 最初に異変に気付いたのは、警備員が連れていたジャーマン・シェパードだった。
防犯カメラや赤外線感知システムの守備範囲外にある四阿に向かって突然走り出
し、人形のように横たわる女のそばで激しく吠えた。息を切らせて犬のあとを
追ってきた警備員は、つるバラのアーチの向こうを走り去る『彼』を目撃した。
「高い金を注ぎ込んで造ったアンドロイドを、これまた高い金を出して葬る、か。」
 深夜の裏通り。賞金稼ぎのジェイド暮崎はため息をついた。相棒の
サイバーウィザード・ファビアンは、このあたりを一望出来る高い場所から
その男を探している。周囲を海に囲まれたこのコーラルを脱出したという情報は
入っていない。

 今回のターゲット― 有機アンドロイド「フロスト」、もしくはフロストの記憶
チップ。

 先週の木曜日、コーラルの知事の一人娘マリナ・アーウィンが夜中の散歩中に
自宅の庭で何者かに刺殺された。解剖の結果判明した凶器は、鉄をも切断する
強力な可視光線剣「光剣」。そしてマリナの父親は、現場から逃げたまま行方を
くらました自分の所有物― 宇宙船の守護神サイバーウィザードが衰退の一路を
たどる今もなお、裕福な者や地位のある者が「ステータス・シンボル」として
所有したがる物のひとつである有機アンドロイド― 「フロスト」に莫大な賞金を
賭けた。
(おかげでこのコーラルは今や賞金稼ぎでいっぱいだ。見た事のある連中だらけ
だぜ。宇宙港にはダグラスの船「へメロカリス」が停泊していたし、昼間駐車場で
見たのは“妖妃”モルガンで…いや、待て?あの女は元々コーラルに住んでるん
だったな。)そんな事を考えつつも、ジェイドはフロストが潜んでいそうな所を
次々とあたってみた。いくら有力者の家で生活していたお坊ちゃまでも、人目に
つく場所を歩いたり、高級ホテルに泊まったりはしないだろう。今の自分の立場
ぐらいわかっているはずだ。
 人間が罪を犯すと、動機や計画性、その他いろいろな事が細かく調べ上げられた
上で、刑が確定する。ところがアンドロイドやロボットの場合、「破壊」もしくは
「危険なプログラムと記憶の削除」しかありえない。
 フロストは、現時点ではまだ「破壊」の対象にはなっていないが、捕獲された後
事件当時の状況を調べる為に記憶の分析が行なわれ、たとえ真犯人が他にいたと
しても(もっとも、被害者の父親はフロストの犯行だと決めつけ、「誰でも
いいから、奴を壊してくれ!」と叫ぶ姿が何度もテレビで放映された)今回の
逃亡は、彼が「異常をきたした危険なアンドロイド」である証しとされ、
再プログラムは免れなくなってしまった。そしてそれは、結果的には『フロスト』
というパーソナリティーにとっては『死』でしかない。
 自由意思を持つ最高級有機アンドロイド。アーウィン家の権力の象徴。実務的には
知事のボディガード。公の場に出る時は高価なスーツのジャケットの裾から光剣が
見え隠れして…。
 当然の事ながら、大抵の賞金稼ぎは、抵抗する護衛用アンドロイドを無傷のまま
捕獲するよりも、心臓部を銃で撃ち抜いて、記憶チップを提出する方が楽だと
考えるだろう。
 フロストの手配書が公開された時、ファビアンはただ一言「探そうよ」とだけ
言った。
 捜索を始めてからそろそろ15時間にはなる。
「ファビアン、一端ホテルに戻るぞ」
ジェイドは通信機の向こうにいる相棒に呼びかけた。
安ホテルの2階。
元々狭い部屋にベッドが二つ入れてあるせいで、余計狭く感じられた。(かまう
もんか。どうせホテルなんて、風呂入って寝るだけの場所だ。ただ、風呂はやっぱ
日本風がいいよな)「ファビアン、風呂あいたぜ。お前も入れよ。」
「ん?ああ…」ファビアンは、対光剣用の素材で作られたボンデージ系の
コスチュームのまま窓辺に立ち、外を見ていた。
「まだフロストを探してたのか…。」ジェイドの目は、無意識的に、ファビアンの
光剣に吸い寄せられていた。レースに包まれた右足の太股に巻かれたエナメルの
ガーターに挿してあるそれは嫌でも人目を引く。
 有機アンドロイドにもピンからキリまであるが、護衛用を兼ねた者の大半は
銃ではなく光剣を所持している。中世の騎士になぞらえた様式美らしいが、確かに
ファビアンには銃は似合わない。
 ファビアンがバスルームに消えた直後、ノックの音がした。
「どちらさん?」顔なじみの同業者、ダグラスがこの部屋を突き止めて、
差し入れでも持ってきたんだろうと思いながらドアを開けると、そこにはあの
ヒゲ面の巨漢とは似ても似つかない美女が立っていた。白い肌に黒いストレート
ヘア、黒く、ちょっと釣り目がちの目。ゲイであり、しかも“美の化身”とも
言えるファビアンを見慣れたジェイドが、思わず息を飲んだほどの美しさだ。
「モルガン…。」
「お邪魔だったかしら?さっき、窓の所にあなたのきれいなパートナーが
居てくれたおかげで部屋がわかったわ。」
(こういうのをセクシーヴォイスって言うんだろうな)と思った次の瞬間彼は
自分が腰にタオルを巻いただけの姿だという事を突然思い出した。
「すまんが、ちょっと待っててくれ!」ジェイドは、会話が出来る程度に
ドアを開け、そのドアの陰であわてて下着を着けた。モルガンの「気にしなくて
いいのに」という、少し笑いを含んだ声を聞きながら。
 レザーパンツに足を通しながら、彼はドアの向こうに声をかけた。「俺に
何の用だ?」
「フロストが今どこにいるのか、知ってたら教えてもらおうかと思って。」
「どうだかな。けど、こんな夜中に一人で男の部屋を訪ねるとはいい度胸だぜ。」
「あなたが自分のパートナー一筋だって事は知ってるわ。」
(何で俺の性的嗜好がこうも同業者に知れ渡ってんだ?)
「知ってる事があったら教えて。」
「(・・・・・・)」
「マリナは私の弟の恋人だったのよ。」
ジェイドの、ベッドの上のタンクトップを取る為に伸ばした腕が止まった。
「何かわかったら、連絡ちょうだい。」
バタンと大きな音をたててドアが閉められ、下の隙間からシャンパン・ゴールドに
輝く名刺が差し出されていた。ジェイドはそれを拾ってくず入れに放り込み、
周囲を見回した。ドアが閉まった時、確かに何かが床に落ちる音がかすかに
聞こえた。ベッドの下を覗き込むと、何やら小さな物が落ちていた。それを
踏み潰して窓に近寄ると、モルガンがこのホテルから出て行く姿が見えた。
ホテルの看板の明りが、彼女の横にもう一人の人影を浮かび上がらせた。腰に
輝く物…光剣を携えた、長身の男の姿を。
(あの女、しっかり近くに自分の守護神を待機させてたのか)
 ジェイドは、バスルームから出てきファビアンに今の出来事を話した。床には
盗聴機の残骸。「俺とお前の関係を知りながら盗聴機を仕掛けるとは、悪趣味にも
程があるぜ。」半ば冗談交じりのジェイドのその言葉に、ファビアンは髪をタオル
で拭きながら、ジェイドの耳にはモルガンの声よりももっとセクシーに響く声で
「あんた、こんなセコい部屋で俺をどうにかするつもりだったワケ?」と
切り返した。
 「愛する弟が大切にしていた恋人のために動いてるってワケか…。」
ファビアンは生成りのTシャツとデニムのビスチェ、それにジーンズを身に着け、
開いた窓の前でまだ湿気の残る髪を自然乾燥させていた。
「確か…モルガンの弟って、1年前に一人でドライブしてる途中、崖から車ごと
転落して入院してて、意識が戻らないまま亡くなったんだっけ?」
『不要な知識』として深層部に放り込んでおいたモルガンに関する情報を、
ファビアンは注意深く『検索』した。
「そもそも彼女がこの世界に入ったのって、弟の入院費を稼ぐためだったん
だろ?幼い頃に両親を亡くしてからずっと、その弟の親代わりを務めてたんだ。
よくある話…。」
 突然ファビアンが話を打ち切った。
「どうした?」
「見て。」
ファビアンに促され、ジェイドは窓からホテルの前の植え込みを見つめた。
「俺、行っていい?」一応、言葉としてはご主人様の許可を得ようとしているが、
ファビアンのその目ははっきりと「俺にまかせて」と言っている。
「ああ、行ってこい。」
そして、相棒が光剣をベルトに挿して部屋を出て行こうとする時「だけどお前には
役不足だろ」と付け加えた。

 10分も経たないうちにファビアンは、ぐったりとした男の体を抱き上げて、
人目を避けるようにして戻ってきた。
「誰かを探してたようにも見えたけど…このホテルに賞金稼ぎが居ないかどうか
確認してたのかな?」ファビアンは、2つあるベッドのうちの片方にその男
― フロストを横たわらせた。
「モルガンは行き違いになったようだな。けど、どうしたんだ?そいつ。」
「エネルギー切れだよ。しばらく眠らずに逃げ回ってたんじゃない?」
 現代のアンドロイドやロボットは、体内にエネルギー再生機関を持ち、
半永久的に活動しつづける事が出来る。しかし、エネルギーの再生量より活動量の
方が上回ると、当然『エネルギー切れ』という状態になる為、人間同様、睡眠を
とる。
「ちなみにこちらは出力不足。故障のせいみたいだけど、これじゃあ庭木の剪定
にも使えないね。」とファビアンは、フロストの光剣をもう片方のベッドの上に
投げ出した。
「いつから故障してたんだろうな?事件前だとしたら、他に真犯人がいるって事
だろ?じゃあ何で逃げ出したりしたんだ?そのせいでこいつは『再プログラムが
必要な、ヤバいアンドロイド』って事になっちまったんだろ?」
ジェイドはその光剣を、サイドテーブルの上に置いた。
「余程取り乱してたのかもね…。」
 それは有り得ることだった。フロストは『護衛』の機能を持ってはいても、
あくまで『有力者のステータス・シンボル」でしかない。
一口に『最高級有機アンドロイド』と呼ばれてはいても、フロストのような
タイプは『どれほど本物の人間に似せて造られているか』が基準であり、
ファビアンらサイバーウィザードは、宇宙船のサイバーシステムとの同調率の高さ
でランクが決まる。その上この、一見、性を超越した美貌の男は『賞金稼ぎの
パートナー』として場数を踏み、「最強」の名を欲しいままにしている正真正銘の
『守護神』だ。瞬間的には音速に達する速さで走る為の骨格は、フロストと
比較すると細すぎ、腰骨の位置が高すぎる。「ま、精神的にもたくましかったら、
マリナ・アーウィンの殺害現場から逃げ出したりしないで、自分の口で身の潔白を
証明しようとしたはずだよ。もし光剣の故障が事件後の物で、実は彼が真犯人だと
しても、殺害の理由ぐらい説明出来たんじゃない?」
 ジェイドは眠るフロストを見やった。手配写真ではきれいにセットされていた
プラチナブロンドの髪は乱れ、身に着けている高級ブランドのシャツとズボンも
汚れている。
 ジェイドはファビアンを見上げた。「こいつがやったと思うか?」
「さあね。例えそうだとしても、過失だった…と思いたいけど。」
「お前はこいつをどうしたい?このまま警察に渡すのは嫌なんだろ?」
その言葉を聞いて、ファビアンの目がふわりと柔らかくなった。そして「やっぱり
わかってたんだ…。」と言いながらジェイドの隣にすわった。
「賞金は受け取れなくなるだろうが…ま、しゃあない、か。」
「あんたがオーナーでよかった…。」ファビアンはそっとジェイドの肩にもたれ、
パートナーの指を髪に感じていた。そして今にも口づけをかわそうとした時、
ジェイドの携帯電話が鳴った。相手は、今度こそダグラス・ベイカーだった。
「夕食のお誘いだとさ。…気付かれたかな?フロストの事。」
「いいんじゃない?人の獲物を掠め取る人じゃないし。」
まれにチームを組む仲でもあるダグラスに対しては、ファビアンも信頼を寄せて
いた。「間は悪いけど。」ダグラスからの通信によってキスの邪魔をされたのは、
今回が初めてでは無かった。
 ファビアンがバッグから読みかけの本を取り出してベッドに寝そべるのを
見届け、ジェイドは部屋を出た。

 

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